「面倒くさい病」に罹った子供へーー間違えた問題をやり直すことの大切さ
・学校で教えられたことが身についているかどうか?
・学力が身についているかをどのように評価するのか?
小学校、中学校、高等学校の教育では、学んだことを生徒が理解してそれを正しく表現できるのかどうかを知るためにペーパーテストが行われます。
テストの点数は子供だけではなく、お父さんやお母さんにとっても気になるものです。ついつい「何点取れたのか?」ばかりを気にしてしまう気持ちも分かります。
でも、子供がもって帰ってきたテストの点数に一喜一憂するだけで、そのまま解答用紙を放ったらかしにしていませんか?
それが習慣化されると、子供の学力の低下を招くことになるかもしれません。
手もとに子供のテスト用紙があるなら、以下の2つのポイントをチェックして下さい。
1. 文字や数字が雑に書かれていないか?
(誰が見ても判別できる字ならOK)
2. 間違えた箇所をやり直してあるか?
(少なくとも正しい答えが書かれているか?)
上記の2つのポイントについて、「そんな簡単なことだけ?」と感じるお母さんやお父さんも多いと思います。意識をすればそれほど難しいことではないのですが、もし、この2つをきちんとできていない子供は「面倒くさい病」に罹っているかもしれないので、注意が必要です。
面倒くさがりだと学力が下がる?
塾で教えていた時に、何から何まで「面倒くさい」と口にする中2の女子生徒がいました。彼女は英語と数学がとくに苦手だったので塾に来たのですが、
heとsheを区別しない
例えば、「彼女は先生です。」という日本文を英文にしなさいという問題を彼女が解くと、
he is teacher
と書きます。この英文にはいくつかの間違い(中学校で習う英語として)があるのですが、それらをひとつずつ彼女に教えると、決まってこのように答えます。
「英語を話す人はそれでわかるから、いいじゃん。直すのが面倒くさい」
he → she
「heは彼、sheは彼女を指すから、この場合はsheになるよね」と言えば、「彼女って彼よりも一文字多いから、書くのが面倒くさい」
英文は大文字で始める
「英文は大文字で始めるルールなんだ」と言えば、「どっちだって分かるからいいじゃん」
teacher → a teacher
「数えられる名詞にはaかanをつけるんだよ」と言えば、「あー、aとかtheとかって、私的にはムリなんだよね」
英文の終わりにはピリオド
「英文の最後にはピリオドをつけよう」と言えば、「そんなの書かなくても分かるじゃん、マジでメンドいんだけど」
これは彼女に限ったことではなく、Iとweを区別しない子供たちもいるのです。彼または彼女たちにとって、「彼と彼女」、「私と私たち」は「ほとんど同じだからどっちでもいい」ものになっています。
間違いをやり直すことが嫌い
間違えた箇所をやり直すことに極端な拒否反応を示す子供たちがいます。その子たちに間違えたことを伝えると「分かった」と言うだけで、手を動かして直そうとはしません。間違ったところを直すようにうながすと「面倒くさい」というお決まりのセリフを口にします。
「面倒くさい」の本心は?
面倒くさいという感情の奥には、どのような気持ちが隠れているのでしょうか? それはおそらく、
怒られるのがイヤだ
間違えたことが恥ずかしい
つまらない
といったものです。子供たちは小学生の頃から学校で勉強を始めて、問題を解いたりテストを受けるなかで、間違った答えに対して「どうして間違えたの?」とか「こんなのも分からないの?」と大人から言われた経験をどこかでしています。
間違える → 怒られる → 恥ずかしい → つまらない
自尊心を傷つけられた子供がこのように思ってしまうと、やり直すことを嫌がり、間違えたことそのものを受け入れることができません。この経験が積み重なることで、やりたくない=面倒くさいという気持ちが生まれます。
面倒くさいを続けると認識力が低下する
ゆとり教育が改正された今でも、子供の学力の低下、なかでも思考力の低下がよく指摘されます。ところが、勉強の苦手な子供たちに教えていると、思考力よりも認識力が落ちていることを痛感するのです。
区別や識別が苦手
分からないことや間違えたこと、テストでは解けたけれどなぜそうなるのかあやふやなところについて、きちんと理解して覚えるという作業は誰にとっても楽チンなものではありません。
ただし、手間のかかることだからといって、間違えたものをきちんと直すことから遠ざかると、さまざまなことを区別することができなくなります。
例えば、bookと英単語を綴りたい場合にアルファベットのbとdが分からなくなってしまったら、その場で覚えることをせずにそのままにしておくと、テストや問題を解くときに、他の単語「door」や「box」、「dog」も分からなくなってしまうのです。
「似ているからどっちでもいい」というのはその子のルールであって、学校では通用しないのです。
間違えることは悪いことと子供は思ってしまう
とは言え、「覚えなさい!」とガミガミ口を出したとしてもほとんどの子供はその言葉に反発します。口調や話し方から自分が非難されていると感じると、子供はそれを拒絶してしまうのです。
間違える → 覚えろと言われる →怒られないようにする →勉強しない
間違えることは「悪いこと」、そして口やかましくいろいろと言われる、その状態が積み重なると子供は勉強そのものを放棄します。つまり、勉強をしなくてもすむように、
・問題を解かない
・間違ったものを隠そうとする
・字を雑に書いて読めないようにする
という行動を起こすのです。
正しく覚えるためには間違えても良い
勉強における間違いは、道徳的に「悪い」ことではありません。
1+1=2
勉強では、この式が正しいか間違っているかの真偽を理解できればOKです。難しく考える必要はありません。間違えることは悪いことではなく、むしろ、正しく覚えるために必要なことなのです。
字が雑なのは…
字を雑に書く子供には2つのパターンがあります。
・計算が速いために、字が雑になる
・読まれたくないから雑に書く
公文などの教室に通っていると、計算のスピードが重視されます。そのため、暗算でぱっと答えが出せるような計算のスピードが速い子供ほど、書くことが面倒くさくなり、字が雑になる傾向があるのです。
それに対して、読まれたくないから雑に書く子供は、間違えるのがイヤだという心理が働いています。この症状がさらに進むと答えを書かなくなってしまうのです。
2つのパターンとも面倒くさいという気持ちが働いていますが、いずれの場合もそれらを繰り返していると認識力が下がります。
雑に書く子供は自分の書いた字を読まない
字を汚く書く子供は、自分の書いた字を読んでいません。そのため、解ける問題でも計算ミスをしたことに気付かなかったり、ひどい時には何を書いたのか覚えていないこともあります。
私たちの記憶は、
目で見る → 頭で認識する → 手で書く → 書いたものを読む → 目で見る →
ことで定着します。そのため、書いたものを読む機会が減ると、このサイクルが回らずに頭で認識することにも支障が出てくるのです。
読めない字は答えにならない
テストの解答に採点者が読めない字を書いたとしたら、それはバツになりますし、答えとして認められません。
テストでは相手に答えを伝えてこそ正解になるのです。
テストはコニュニケーション
テストは先生と生徒とのコミュニケーションです。学力が身についていることを教えた側の先生に伝えなければなりません。そのため、相手に伝わらない字であれば答えとして成り立たないのです。
認識力を上げるためには
先生とのコミュニケーションであるテストを最大限に活用しましょう。チェックは2つあります。
1. 字は誰が見ても読めるように書かれているか?
2. 間違えた箇所はどこが間違えているのかを自分で発見できるか?
このポイントをクリアしたら、いよいよ間違いを直して正しいものを覚えます。解き直すときは必ずノートに書かせて下さい。問題文も合わせてノートに写すと効果的です。
子供の成長はそれぞれ異なる
手間をかけて解き直したからといって、完全に理解する子供もいれば、部分的にしか理解できない子供もいます。そんなときは焦らずに解き直した問題を日にちを空けてもう一度挑戦してみて下さい。
同じことを繰り返すうちに、理解度も上がっていきます。(もし、手もとに似たような問題を用意できるのなら、それを解くことも有効です)
まとめ
「面倒くさい病」に罹ると、正確さが失われ「だいたい合っているから」という曖昧な状態のまま学校の勉強がどんどんと進んでいくことになります。
基礎的なものほど曖昧なままにしておくと、後からそれを勉強するにはすぐに対処する何倍もの時間がかかり、そちらの方が「面倒くさく」なるのです。
誰もが手間のかかることは嫌がります。とは言え、間違えたものをすぐに直せれば、その分理解度は増していくのです。
もし、お子さんが「面倒くさい病」に罹っていたとしたら、注意をしてみて下さい。
あなたにとって、勉強が「面倒くさい」ものにならないようにーー