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夏の読本 読書感想文を書く年齢から遠く離れて

 

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幼い頃からの、そうは言っても難しい漢字も読めるようになった小学校高学年の頃からの習慣として、夏のお盆前になると何冊かの本を手にとり、頁を捲ってしまう。

 

それは、習慣化からもたらされる惰性としての行動なのだが、歯磨きをせずに就寝しようとするとどこか居心地の悪さというか気持ち悪さを感じるのと似たようなものなのかもしれない。不思議なもので、夏の甲子園が始まると複数の本を手にしたくなるのだ。

 

 今年の夏は金井美恵子の『ピースオブケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』を再読中。

 

2016年の春に日本で公開された映画『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』の中で、悪役のレックス・ルーサーが『ロリータ』の冒頭部分をパロディとして引用していたのを不意に思い出し、ナボコフの代表作を本棚からゴソゴソと取り出して読み始めた。

 

ウラジーミル・ナボコフは『ヨーロッパ文学講義』という書物において、「小説の最良の読者とは、指でページをめくらずに、文章を目で追うことなしに小説を読む人だ」と書いていて、これは簡単に言えば全文をすべて覚えていれば、いつでもどこでも直接的に本を読むことができる、ということを意味しているのだが、まだ夏休みの課題として読書感想文を書かなければいけない高校生の頃に、小説家の金井美恵子がこのナボコフの文章をエッセイの中で引用しているのを初めて目にした時、とても感銘を受けたことを覚えている。

 

それから、そう、金井美恵子の『ピースオブケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』もナボコフを読む時にはこそこそと取り出してしまう。
その溜息の出るほどに長い描写は、開いた頁に並ぶ文字が余白までも埋め尽くしてしまうのではないか、というほどの濃度で読者を息苦しくさせるのだが、もちろんそれは、言葉の海に溺れることの苦しさでもあり快楽でもある。


もう、とめどのない言葉の海で溺れるために何度も何度も金井美恵子の小説を読むものの、その全文を諳んじることなどできはしないのだから、ナボコフ大先生からすれば、私は最良の読者とは言えないのだろう。

 

本を読む体験は文章を「覚える」ことだけで豊かになる訳ではないとしても、ハリウッド映画の登場人物が有名な小説のフレーズを諳んじているように、ふとしたことで小説が記憶として水面に現れる水泡のようにぷつぷつと泡を立てながら蘇ることも、豊かな読書体験の1つだとは思うのだ。