非モテを目指す文学女子にオススメ! 文学男子を寄せ付けないほど筆力のある女性小説家の作品4選
文学好きな女性というのは、本が好きな男性にとってはとても魅力的に映るものです。
文学女子は上品で知的、かつ清楚なイメージを「勝手に」周りからもたれやすいので、どうしてもある種の男性からモテてしまいます。
・そんな風に近づいて来る男たちにモテたくない!
そうした男性を寄せ付けない尖った文学女子になるために、オススメの女性作家の作品を4つご紹介。
これであなたも文学女子として非モテになれます!
金井美恵子 『柔らかい土をふんで、』
金井美恵子は、こじらせ文学女子としては押さえておかないと恥ずかしい日本の「前衛」的な女性作家。
文学好きなこじらせ女子であれば、『柔らかい土をふんで、』のページを開いた途端に現れる、圧倒的な描写がつらつらとつながる息の長い一文(文庫本では書き出しから6ページ目に初めて句点が登場します)に、思わずうっとりとした溜息をついてしまうのではないでしょうか。
この小説でははっきりとした筋書き(ストーリー)があるわけではなく、さらに言えば、語り手は誰なのか? 語り手は一人なのか? 語り手が「いつ」のことを語っているのか? など、読んでいても分かりにくい叙述の構造になっています。読みやすいとは言えないのに、それでもなぜか目がどんどんと金井美恵子の描く文を追ってしまう、そんな不思議な魅力をたたえた作品が『柔らかい土をふんで、』なのです。
読み終わったときに、そこに細密に書かれたさまざまな描写が読者のもっている記憶と結びつき、それらが「シャンパンの泡のように頭のなかでぷつぷつと弾ける」ような感覚を味わうことができ、本を閉じるのが惜しくなってしまいます。そう、いつまでも金井美恵子の文章のなかでゆらゆらと漂いたくなって…
金井美恵子の小説を読んでノックアウトされたら、ちょっと本好きな男などは簡単に寄せ付けずにシャットアウト。
多和田葉子 『雪の練習生』
芥川賞を受賞した『犬婿入り』を含めて、「小説はきちんとした筋書き(物語)があって、登場人物の心情が細やかに描写されるもの」と考えている読者にとって、多和田葉子の作品は「読みにくい」ものが多いかもしれません。
日本語とドイツ語、2つの言語で創作活動をしている多和田葉子にとって、小説とは「言葉」にまつわるものであって、語り手の意識の流れがそのまま描写と一体になっているため、「筋書きに起伏がなくて退屈」と感じる読者も多いのでしょう。日本語とドイツ語のハイブリッドな言葉遊びとかは読んでいて「きゅん」となってしまいますが…
ここで紹介する『雪の練習生』は、多和田葉子作品としては珍しくはっきりと筋を追うことができる「物語」としても読めるものになっています。この小説を一言で表すなら、「ホッキョクグマ三代の物語」となるのですが、もうこの本の冒頭部分の美しい叙述を目にしたときに「これは名作になるのだろうな…」と確信したのを覚えています。
あの多和田葉子が、
「わたし」という語り手のホッキョクグマの物語
を書くなんて、これはもうホッキョクグマ好きとしてはたまらない本でした。
それはさておき、「三代目」として登場する「クヌート」というホッキョクグマのお話は、多和田葉子の作品としては「えっ!」と驚かされるような感動的な描写もされているのですが、安心して下さい。軟弱な文学男子であれば、100ページを読むのも大変だと思います。
この本で多和田葉子の文体に惹かれたら、『尼僧とキューピッドの弓』、『ヒナギクのお茶の場合』などへと読み進めてみて下さい。きっと、あなたも多和田ワールドから抜け出せなくなりますから。
笙野頼子 『渋谷色浅川』
はじめて手にした笙野頼子の小説は、『タイムスリップ・コンビナート』だったと思うのですが、それ以来、新作が発表されるたびにいそいそと作品を買い続けている数少ない作家のひとりです。
一般的に小説は、「これからどんなことが起こるのか?」という読者の興味を惹くことで成立する娯楽だと言われます。ところが、笙野頼子は、筋書きよりも「言葉」そのものをさまざまに変容させ、それを独特の語り口で描写することで小説を成立させる希有な才能をもっています。
笙野頼子の初期の作品の多くは、読みやすい小説に慣れ親しんだ読者からすると「難解」に見えてしまい、数ページを読んだところで挫折してしまうおそれが多分にあるのですが、でもそこを少し我慢すれば、いつの間にか自転車に乗れるようになるのと同じような感覚でその作品に引込まれてしまうのです。
さて、『渋谷色浅川』ははじめて笙野頼子を読む人にとってはとっつきやすい部類に入る小説です。「渋谷」と「インターネット」と八王子市を流れる「浅川」とが言葉を通して渾然一体となってさまざまに描写される『渋谷色浅川』は、笙野頼子の分身でもある小説の語り手の意識を通して、私たちを不思議な感覚へと導きます。
人と関わることが、あるいは外部の世界と接触することが極度に苦手な語り手を通して、この社会の有り様を言葉を使って描写するという笙野頼子の文学に対する真摯な態度に、思わず胸が熱くなる作品です。
本が好きな男子から「どんな作家が好きなの?」と聞かれて、
笙野頼子
と即答できれば、あなたも尖った文学女子の仲間入りです。
川上未映子 『わたくし率 イン 歯ー、または世界』
川上未映子の芥川賞受賞作『乳と卵』は、作家の整った容姿とも相まって小説としては異例なほど売れた作品です。とは言え、多くの批評家の間で「芥川賞をとるために書いた」と揶揄されるように、初めての中編小説『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の独特の語り口から、『乳と卵』は「読みやすさ」の部分で多くの読者を獲得できるような語り口へと変わっていることが見てとれます。
『わたくし率 イン 歯ー、または世界』が芥川賞の候補作になったときに、石原慎太郎が、
自分が苦労?して書いた作品を表象する題名も付けられぬ者にどんな文章が書けるものかと思わざるをえない。
と書いていて、そのときは思わず笑ってしまったのですが、確か、そのときに、山田詠美や川上弘美が「小説の最後が疑問」と言っていたのも思い出すのですが、でも、若気の至りとも思える「妄想オチ」もこの作品の「チャーミング」さのひとつでもあると思うのです。
川上未映子の公式サイト見てもわかるように、実に軽妙な語り口で日常を綴っていますが、小説においてもスピード感のある独特な語りが冴え渡っていて、『わたくし率 イン 歯ー、または世界』を読み始めるとあっという間に時間が経ってしまっていることに驚かされます。
『乳と卵』はやっぱり女性の性が象徴されている作品で、樋口一葉へのオマージュでもあるよね! などと賢しらく語る男子がいたら、
私は、『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の荒唐無稽さのほうがしっくりくるんだよね!
とぴしっと言ってのけられれば、あなたも尖った文学女子へとまっしぐらです。
あなたが「尖った文学女子」に少しでも近づけますように…